シモネッタ・ヴェスプッチ(Simonetta Cattaneo Vespucci)

mercoledì, il 21 giugno 2006

 先のシャンティイ城(Château de Chantilly)の記事でピエロ・ディ・コジモによる肖像画で登場した、シモネッタ・ヴェスプッチ(伊:Simonetta Cattaneo Vespucci, 1453-1476)という人物について少し整理してみたいと思います。

 彼女は1453年にジェノヴァ共和国の商人の娘、シモネッタ・カッタネーオ(伊:Simonetta Cattaneo)として生まれています。その生地については、ポルトヴェネーレ(伊:Portovenere)かジェノヴァ(伊:Genova)かという二つの説がありますが、後にボッティチェッリ(伊:Sandro Botticelli, 1445-1510)の《ヴィーナスの誕生》のモデルとなったという説があり、もしかしたらポルトヴェネーレ(<ヴィーナスの港>の意)の方は出来すぎというか、後付かも?!

 15歳(16歳?)になった年にはマルコ・ヴェスプッチ(伊:Marco Vespucci)のもとに嫁いでいます。ヴェスプッチ家は後に「アメリカ大陸」の名称の元となるアメリゴ・ヴェスプッチ(伊:Amerigo Vespucci, 1454-1512)を輩出したことでも知られています。

 ちなみにアメリカ大陸発見の栄誉を担ったのはクリストフォロ・コロンボ(伊:Cristoforo Colombo, 1451-1506)ですが、彼もシモネッタと同様にジェノバ共和国の出身でアメリゴ・ヴェスプッチと同じくスペインの元で航海に出ており、その辺りの繋がりがあるかは定かではありませんが、なかなか興味深い所。

 シモネッタはその後、その呼び名"la bella"と対になる"il bello"と呼ばれたジュリアーノ・デ・メディチ(伊:Giuliano de' Medici, 1453-1478)との恋愛が噂となっています。有名な話では、1975年に開催された馬上槍試合(伊:giostra)で優勝したジュリアーノに、シモネッタからすみれの花冠を贈られたという話が伝わっています。実際にそういった恋愛関係が存在したのかは分かりませんが、シモネッタがその翌年1976年に病で若くして死去し、ジュリアーノも有名な1478年のパッツィ陰謀事件にて暗殺されており、悲劇の美男・美女という組み合わせが人々の口上に登っている間に伝説化されたものなのかも知れませんね。


 さてフィレンツェにてシモネッタは、上のジュリアーノとのストーリーにもあった"la bella"と呼ばれる程にその美貌で有名だったことが、現代まで伝えられています。当時の女性の美しさの基準は金髪で額が広いということであったそうで、前髪を抜いて剃ったり髪に植物性の溶液を塗って天日干しにしたりという化粧法があったということです。

 以前にGianMaria先生にも図版を見せていただいたのですが、下のピエロ・ディ・コジモの作品では、そういった化粧の様子がよく伝わってきます。ここでは首の蛇の図像と胸を顕にしたことでも分かるように、クレオパトラ(Cleopatra VII, B.C. 69-B.C. 30)をモチーフとしたものだと考えられます。ピエロ・ディ・コジモがどういった注文の元にこの作品を描いたのかは分かりませんが、真横を向いた典型的な肖像画の形を取りながらも、女性の妖艶な官能的とも言える美しさがこれ程までに表現されているのは素晴らしいですね。

 少し時代は下りますが、上野で現在開催中の「プラド展」にもクレオパトラをモチーフとしたグイド・レーニ(伊:Guido Reni, 1575-1642)の作品がありますが、こちらも実在の貴族女性をモデルとしたと伝えられています。


《Ritratto di Simonetta Vespucci》
Piero di Cosimo
c. 1480


 シモネッタをモデルとした作品は他にも幾つか存在しており、上述のボッティチェッリによる肖像画や、ピエロ・ディ・コジモの《Morte di Procri》のモデルとも言われています。日本にも公開はされていませんが、以下のボッティチェッリの作品を丸紅株式会社が所有しています。この作品については1969年に真贋論争が発生したそうですが、現在ではボッティチェッリ本人とその工房による作品とされているとのこと。


《La bella Simonetta》
Sandro Botticelli
1480-85


 現代のイタリアでも、美しい女性の名前の代名詞としてその存在が伝わっているシモネッタですが、私の連れの姉が以前ホームステイしていた家の女主人もシモネッタという名だったそうです。日本では小野小町と言ったところですが、さすがに現代でそんな名前を見たことはなくて、そういった違いも面白いです。

 次回は、ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-1574)に「奇矯な性格」と表現された希代の画家、ピエロ・ディ・コジモについて見て行きたいと思います。

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