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美術館訪問記録-[マッキアイオーリ展 イタリアの印象派]

domenicà, il 17 gennaio 2010
sono le ventuno e trentaquattro





 東京都庭園美術館で開催中の「マッキアイオーリ展」へ行ってきました。内容は、副題にもあるように、19世紀のイタリアにおける「印象派」画家達の作品を揃えたものです。ただし、ここで言うところの「印象派」は、あくまでアカデミズムからの脱却という美術史的な流れとしてであり、同時代のフランスを中心とした印象派画家達の活動とは、一線を画するものと認識しておく必要があるでしょう。

 そして、やはりこの「マッキアイオーリ」という語についても、最初に触れる必要があるでしょう。元は、イタリア語で<染み><汚れ>を意味する「macchia」を語源としており、<斑点によって描く者>とでも言えば良いでしょうか。よく似た単語にスタバ等でも御馴染みの「カフェ・マッキアート」がありますが、これも同じで動詞「macchiare(染みが付く)」の過去分詞である「macchiato(染みが付いた)」から来ているのは、よく知られていることですね。

 そういった「マッキアイオーリ」と呼ばれた画家達は、ルネサンスに代表される過去の遺産に囲まれながらも、それから脱却した新しい様式を模索していました。そうしている内に、フランスのバルビゾン派の手法に目を付け、このマッキア(斑点)画法に至ったとされています。ちなみに、この斑点を使って素早く描く方法自体は、ティツィアーノが晩年に採った手法としても知られていたため、先達との関係の再発見という意味でも支持されたとのことです。

 また彼らを理解する上で重要なポイントとして、19世紀半ばから起こっていたリソルジメントと呼ばれる政治的な運動があります。日本では、イタリア統一運動として知られていますが、当にその大きな統一への流れと共に歩んだのが、かれらマッキアイオーリでした。そのため彼らの作品にも、そのようなイタリアへの愛国心や郷土愛が強く伺われます。


 以下は、個々の作品の感想です。


 
 糸巻きと座る老女という一場面を描いたこちらの作品は、典型的なイタリアの農村を想起させます。強い陽光がまたイタリアらしく、それでいて静けさを孕んだ雰囲気が伝わってくるのが不思議ですね。何気ない景色ですが、強く印象に残る一枚でした。


ヴィンチェンツォ・ビアンカ|《糸つむぐ人》|1862年





 私がとても大好きで、フィレンツェでは必ず訪れるサン・ミニアート・アル・モンテ教会を描いたもの。この教会の内部は、普段は内部に灯りを点けてないため、窓から差し込む光が全てという薄暗い空間になっています。この作品でも、階段に差し込む光とその背景の薄暗さが対比されており、マッキアイオーリが目指した一瞬の場面の再現が、非常に上手く表現されています。


ジュゼッペ・アッバーティ|《フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会の内部》|1861年




 3人の若い女性達が、くつろいで会話している一場面を切り取った作品。物憂げな時間の中で、気取らない雰囲気が、返って日常の一瞬という瞬間性を強く意識させます。女性達の背中側から光が差し込み、うなじが白く浮き上がっている所も美しい。


クリティアーノ・バンティ|《内緒の話》|?年




 本展の中で、最もぞくりと来た作品がこちら。これも田舎町の一場面なのでしょうが、女性の存在感が非常に大きく威厳さえも感じさせます。後姿というのが観客の視線を誘導して、描かれた以上の深い奥域を感じさせます。非常に完成度の高く素晴らしい作品です。


フランチェスコ・ジョーリ|《水運びの娘》|1891年





 このように、イタリアという土地の文化と滋味を強く感じさせる作品が多く来日しています。普段見慣れたフランスの印象派画家の作品と、また違った趣があって新鮮でした。またフランスの光が「開放感」を想起させるのに対して、イタリアのものからは「力強さや厳しさ」がイメージされました。そういった相違点という意味でも、なかなか興味深い内容です。

 ちなみにマッキアイオーリが活動を本格化したのは1860年で、フランスでの第1回印象派展の開催が1874年という点を鑑みると、彼らの先進性や独創性といったものが浮き上がって来ますね。印象派好きな方、またイタリア好きな方にもお勧めです!


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2010.01.17 Sunday 21:34 | comments(1) | trackbacks(4) | 美術館訪問記録 | 

映画-[アバター 3D]

domenicà, il 3 gennaio 2010
sono le ventidue e uno

 


 巷で話題の映画、『アバター』を観てきました。SF大作の旗手であるジェームズ・キャメロン監督の肝いりとのことで、前評判もかなりのものがありましたが、期待を裏切らない驚きの映像を目にすることができました。

 同じような驚きは、スピルバーグ監督の『ジュラシックパーク』を観たときにも感じたことが思い出されます。見たことがあるはずの無い恐竜が、まるで本当に生きてそこにいるかのようでした。実写とCGの境界線が限りなくゼロに近づいたことが、その際に初めて実感となったのです。

 そして本作は、そこから更に先に進み、デジタル3D技術によって映像に「自然な空間的広がり」を持たせたことに意義があります。同じような映像は、ユニバーサル・スタジオの「ターミネーター 2:3-D」でも実現されていますが、やはり「自然」な意味での3Dではなく、驚きをメインにしたものでした。今回は、奥域があるような場面では3Dに、奥域が無い場面では通常といった使い分けがあり、観客が自然にこれを認識できるようになっていると感じました。

 力技のハリウッド映画に対する批判も多いかと思いますが、こと空想上の世界を描き出すというチャレンジに対してここまで費用と努力を注いでいるのは、なんといってもハリウッドを置いてありませんね。映画の「良さ」を計る視点にも様々あるかと思いますが、観客を驚かせる映像という観点では、過去の映画を優に超えていました。

 ただし!残念なことにストーリーやドラマ展開は、すぐに先が見越せてしまうようなお粗末さも。色々なレビューでも指摘されていますが、基本的に『ポカホンタス』や『ラストサムライ』のシチュエーションと被っています。テーマ性も、せっかく宇宙SFなのに壮大さにかけた卑近なものです。確かに脚本が書かれたのが1994年とのことなので、公開までに陳腐化してしまったのも仕方が無いかも知れません。

 唯一アイディアとして面白かったのが、「アバター」というガジェットでしょう。アバター自体は、用語としてもかなり普及したもの。電子的な意味のアバターは、かなりのSF小説でも、おまけあるいは当然の社会機能として組み入れられた空想世界が描かれています。物理的なアバターは、ロボットとしての形態で描かれることが多いですね。今回は、物理的なそれも生物体としてのアバターで、この特性が上手く扱われていました。まぁSFとしては、星間航法を実現しているとは思えない地球人側の原始的な武装や、なぜか地球人と同じ感情表現を持つエイリアンなど、ご都合的な部分も多いですが。。。

 とはいっても、やはり映像技術としては今後の方向性を示した一作ですので、是非ご覧になっていただければと思います。


JUGEMテーマ:映画
 
2010.01.03 Sunday 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | 

Hello 2010!!

lunedì, il 1 gennaio 2010
sono le ventiquattro


 明けましておめでとうございます。そしてこのブログも今日で6歳の誕生日です(*^^)


 さて今年の干支である虎ですが、西洋絵画の伝統には登場する機会は、他のライオンや豹といった猛獣に比べるとかなり少ないかも知れません。アフリカ大陸にも分布しているそれらと違い、東南および東アジア由来の虎は、ヨーロッパに自然に生息するものではなく、やはり馴染みが無いのでしょう。それでもローマ時代のモザイク画には、はっきりと虎と判別可能なものが残っており、中近東を介したアジアとの貿易関係を伺わせます。また剣闘士と戦う姿も描かれており、コロッセオでの催しを通して一般に認知されていたとも考えられますね。


 その後の近代に至るまで、虎を描いた類例は、見付けることが出来ませんでした。そしてやはり17世紀になると、ルーベンス工房のヤン・ウェルデンス(Jan Wildens, 1586-1653)によるこのような作品が登場します。大航海時代を経て世界への航路が開き、ヨーロッパ世界以外との貿易が活発化していたオランダならでは、でしょうか。



ヤン・ウェルデンス|《乳を飲ませる牝の虎》


 ちなみにうちには、年賀状にもあるように小さな虎の親戚が2匹住んでいます。内気な性格ですが、毛並みだけは立派に虎柄です。幸運を運んで来てくれるといいなぁ〜。

 ということで、今年もどうかよろしくお願いいたします!!


JUGEMテーマ:大晦日/お正月
2010.01.01 Friday 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | 

My Best 10 Art Exhibitions in 2009

mercoredì, il 30 decembre 2009
è ventidue e tredici



 今年は、イタリア旅行でかなりエネルギーを使ってしまい、国内の展覧会になかなか行けれませんでしたが、総括ということでベスト10を選んでみました。





1位.THE ハプスブルク(国立新美術館)

 こんなにレベルの高い作品が一同に会するのも珍しいでしょう。忙しさで感想を書くのを忘れてましたが、とにかく良い作品の揃えに驚かされた展覧会でした。

2位.ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画(国立西洋美術館)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=755
http://megurigami.jugem.cc/?eid=771

 17世紀という時代に絞ったという企画自体に目新しさは無いのですが、作品の揃えがやはり素晴らしかったです。

3位.日本の美術館名品展 MUSEUM ISLANDS(東京都美術館)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=765

 企画そのものに一票を投じての結果です。日本全国に、このような素晴らしい作品が所蔵されていることを改めて認識させられました。

4位.クリムト展(ハンガラム美術館)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=762

 このために韓国まで旅行して観て来ました。クリムトの企画展自体が非常にレアであり、かつ内容もとても良かったです。

5位.ベルギー幻想美術館展(渋谷Bunkamura)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=777

 やはり、アンソールの作品に引き込まれた点がポイントでしょう。《キリストの生涯(32点組み)》をもう一度観たいです。

6位.奇想の王国 だまし絵展(渋谷Bunkamura)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=774

 本来は傍流である「だまし絵」の分野ですが、きちんと美術史の流れに沿って見ると、非常に興味深いものであることが分かって来ます。

7位.古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ―(国立西洋美術館)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=780

 イタリアを滅多に出ることの無い彫刻作品ばかりで、特に《アレッツォのミネルウァ》には驚かされました。

8位.古代カルタゴとローマ展 きらめく地中海文明の至宝(大丸ミュージアム・東京)
http://megurigami.jugem.cc/?eid=777

 企画も素晴らしいのですが、巨大なモザイクの展示が非常に良かったです。

9位.国宝 阿修羅展(東京国立博物館)

 当に国宝と言うに相応しい、阿修羅像のまとう厳粛な雰囲気に圧倒されました。 

10位.ウィーン・ミュージアム所蔵『クリムト、シーレ ウィーン世紀末展』(日本橋高島屋)

 世紀末というそこはかとない不安定さが、見事に表現された企画でした。



JUGEMテーマ:アート・デザイン

2009.12.30 Wednesday 22:13 | comments(6) | trackbacks(3) | 美術館訪問記録 | 

イタリア旅行2009-[詳細レポート@Bologna]

domenicà, il 6 decembre 2009
è cinque e due

 イタリア旅行の5日目と6日目は、こちらボローニャにて過ごしました。ちなみにイタリアでも日本の公立施設と同じく、月曜が休館日の場所が多いです。今回は、5日目が月曜だったため、2日に分けて周ることにしました。

 さてボローニャという街についてですが、他の街と違って一言でその特徴を伝えるのになかなか難しいものがあります。ローマ時代には、規模そして経済的にも重要な位置を占める都市にまで成長していましたが、その後における政情において歴史を左右する存在には成り得ませんでした。基本的に経済面での繁栄が政治権力の強さを左右する大きな要素であることを鑑みると、この不思議とも言えるその「地味さ」が、逆説的にボローニャの特徴に結びついているように思えます。

 実際に歴史を紐解いていくと、中世から近代までの時代において北の神聖ローマ皇帝、東にラヴェンナを中心とした東ローマ帝国、そして南にローマ教皇と、各勢力の接する境界に位置していたことが分かります。この境界としての地理的そして政治的な状況が、他国を圧倒する勢力と成り得なかった環境を生み出したのかも知れませんね。またそのことが逆に、周辺の盛衰に影響されることなく、繁栄を継続できた要因となっているかも知れません。

 現代のボローニャは、歴史的街区の保存における先進性もあって、古い町並みがかなり残されています。ちなみに私の宿泊したホテルが面したマッジョーレ通りは、ローマ時代のエミリア街道を基礎としており、今でもローマ時代の外壁にあった門を通って中心街に向かうようになっていました。



 そしてどこまでも続くポルティコ(柱廊)の素晴らしい光景が、中世の面影を強く忍ばせます。ここまでこの様式が街の建築と一体となって現代に生きている例は、イタリア広しといえどもボローニャだけでしょう。しかも全てが統一されているという訳ではなく、時代、場所、もしくは好みによって様々な様式が観察できるのも非常に面白い。下の写真も先のマッジョーレ通りにあるポルティコですが、なかなか歴史を偲ばせる佇まいです。



 という訳で、また写真を眺めながら記事を読んでいただければと思います。

20090928-29_Bologna
 


01.聖ステファノ聖堂(Basilica di S. Stefano)

 月曜の午前中にボローニャに到着し、まず向かったのがこちらです。これは後で気付いたことですが、ボローニャ最古の教会を含むということで、観光の順番としてもなかなか赴きがあります。ちなみに「含む」と書きましたが、この聖ステファノ聖堂は、もともと7つあった教会群の中の4つが合わさって構成されたものです。非常に面白い建築上の構成を楽しむことができ、かつ歴史を感じさせる雰囲気を味わうことができ、個人的にとてもお気に入りの場所になりました。



 ちなみに4つの教会による複合的な構成になっているため、一般的な教会建築の要素である対象性は、個別にはあっても、全体としては非常にカオスな印象を受けます。そのため、内部はまるで迷路のように入り組んでおり、自分がどこにいるのか分からなくなってきました。全体イメージは、パンフレットを見て初めて分かったのですが、以下のような立体構造および平面構成なっています。




(1) クローチェフィッソ教会(Chiesa del Crocifisso)

 ランドバルド族によって8世紀に原型が作られた教会です。カトリックの教会建築に見られる側壁の礼拝堂が無く、かなりシンプルで現代的な印象を受けます。



 身廊から後陣の祭壇に向かう階段上には、宙吊りになったシモーネ・デイ・クルーチフィッシ(Simone dei Crocifissi, c. 1330-1399)による1380年頃作の十字架を見ることができます。ちなみにこの聖ステファノ聖堂は、1493年からベネディクト修道院の管理下に入っているのですが、この十字架では、その前の時代ということもあるのか、聖フランチェスコがイエスの足元にマグダラのマリアと共に描かれています。



 またその階段の両脇から、地下礼拝堂に階段が続いています。この地下礼拝堂には、聖ヴィターレと聖アグリコラの聖遺物を納めた骨壷が収められており、それらの盗難を恐れたベネディクト派の修道士によって建造されたそうです。



(2) サント・セポルコ聖堂(La Basilica del Sepolcro)

 地下礼拝堂から続いて入るのが、こちらサント・セポルコ聖堂。集中プランのロトンダ形式となっており、内部には非常に美しい祭壇が設置されています。当に聖ステファノ聖堂の顔とも言える聖堂で、ここだけ時間が止まっているかのような印象を受けました。元はイシス神殿であった場所を流用したとされており、一部の柱にその名残を見て取れるとのこと。



 この祭壇は、エルサレムの聖墳墓教会にあるイエスの墓(Holy Sepulchre)を模したものですが、合わせてボローニャの守護聖人である聖ペトロニオの墓も兼ねているとのこと。浮き彫り部分には、マリア達がイエスの墓を訪れた際に天使に出会ったエピソードが表されています。イエスの墓がここにあることを示すイメージとしては、うってつけですね。またその下の碑銘には、「QUIVI RIPOSA CORPO DEL GLORIOSO S.PETRONIO VESC. E PROTETT. DI BOLOGNA」(ここに司教でありボローニャの守護者である栄光ある聖ペトロニオが眠る)と描かれていました。聖ペトロニオをイエスに模すことで、その聖性を高める意図があるのでしょうか。



(3) サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ教会(Chiesa dei protomartiri San Vitale e Sant'Agricola)

 「ピラトの中庭」(Il Cortile di Pilato)と呼ばれる、教会同士の間の空間を眺めつつ、最後の殉教者教会へ。サント・セポルコ聖堂の外壁装飾も見られる表現も、全体の雰囲気と調和していて興味深いです。



 さてこの教会は、聖ステファノ大聖堂の中で最も古い建築になります。細長い身廊に質素な装飾など、先のクローチェフィッソ教会に近いものがあります。こちらも同じく異教の神殿を原型としており、ギリシャ風の柱頭にその名残が見て取れます。とにかく簡素なので、訪れる観光客も足早に出て行かれるのですが、ゆっくりと静かに雰囲気を味わえる空間でした。



(4) 殉教者教会(Chiesa del Martyrium)

 この4つ目に当たる教会は、サンタ・クローチェ教会やサンタ・トリニータ教会など何度も名前を変え続けてきた歴史を持ち、その原型を探るのも難しいようです。現在は、数点の彫像や彫刻が収められています。こちらの、まるでペルシア人のような立派な髭をたくわえた聖ペテロ像が、かなり迫力がありました。

 
 最後に訪れることができる売店では、老齢の修道士の方に色々説明をいただいてパンフレット等を買ってきました。といっても片言の英語交じりのイタリア語で捲くし立てられて、半分以上良く分かりませんでしたが。。。また売店と併設されている博物館でも、数は少ないですがこの教会に関連した美術作品が見れました。



02.旧ボローニャ大学(Palazzo della Archiginnasio)

 ボローニャの歴史の中で最も輝きを放っているのが、この世界最古の大学です。その成立は、1088年とされていますが、大学という観念自体がそれまでに無かったことから便宜的なものであり、その自然発生がどういった経緯によるのかは、はっきりとしていません。

 ただその原型が、ローマ法(ユスチニアヌス法典)の再発見で知られるイルネリウス(Irnerius, c. 1050-c. 1125)に遡るのは、確かなことのようです。ちなみにこの再発見については、単に学問的な価値を意味するものではなく、都市における自治権の確立や叙任権闘争など、ヨーロッパを取り巻くニーズに答えるものであったという状況が、非常に重要と言えます。

 特にこの時代のボローニャは、先に書いたようにヨーロッパにおける勢力図の境界に位置していたこともあり、いずれの勢力の学級の徒にとっても門戸が開かれていたことが想像されます。またこの時代に法律の研究を必要とした学生達は、現代と違って非常に裕福な階級に限られていたため、学生が大学を支配する構図となっていたのも興味深い点です。また学生数がボローニャの人口の10%にまで至るなど、街の行政や有り方そのものに与えた影響度も指摘されて良いでしょう。

 さて、その門をくぐって敷地に入ると、多くの紋章が掲げられたポルティコの広場になっています。この大学に赴いた教授や学生の家紋を示す紋章であり、その数の多さがこの大学の権威を物語っています。ただし、このアルキジナーンジオ宮自体の建設は1563年で、それまでの大学教室は、街の特定の地区に散らばって存在していたようです。



 廊下の天井にも多くの紋章の図柄で埋まっているのですが、こちらお馴染みヴェネツィアを象徴する有翼のライオンが、ひときわ目立つ大きさで描かれていました。やはり大きな勢力は、さすがにそれなりの大きさで勢力を示していたのでしょうか。



 そしてボローニャ大学を象徴するのが、有名な世界初の解剖学教室(Teatro Anatomico)です。すべてが木目そのままの木造となっており、中央に設置された大理石の解剖台の白さが際立って見えました。法律学校をその母体とし、法学を中心に据えたボローニャ大学に医学部が据えられたのは、14世紀の頃のようです。



 解剖台の向こうには、皮を剥いだ人間のリアルな彫刻が置かれています。本当に筋肉や腱が詳細に表現されており、なかなか雰囲気があります。これ以外にも、ヒポクラテスやガレヌスを始めとした医学の徒の彫刻が据えられていました。



 天井には、学問を司るアポロンを中心に星座を模した彫刻が配されています。これも異教的なシンボルに満ちていて、医学の実践に占星術あるいは錬金術とも言ってよい知識が、どのように反映されていたのか非常に興味深いものがあります。特に、代表的な黄道十二星座以外のものがほとんである点は、何かしら特殊な原典があるかもしれませんね。




03.聖チェチリア礼拝堂(Oratorio di S. Cecilia)

 現在のボローニャ大学が門を構える通りにある、ボローニャのシスティーナ礼拝堂とも呼ばれる、素晴らしいフレスコ画が描かれた礼拝堂です。描かれているテーマは、音楽家と盲人の守護聖人とされる聖チェチリアの生涯であり、その夫である聖ヴァレリアーノとその弟である聖ティブツツィオも共に登場しています。ただし、意外と聖ヴァレリアーノを中心にしたものも多く、聖チェチリアと対になって夫婦の契りを意識したものでは、という印象も受けました。

 元は、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会の一部を拡張する目的で、1359年に改築されたものとのこと。内部のフレスコ画は、1505年から1506年にかけてベンティヴォーリオ家がパトロンとなって製作されたものです。


《聖ヴァレリアーノの改心》|ロレンツォ・コスタ



 画家としては、フランチェスコ・ライボリーニ(Francesco Raibolini detto "Il Francia", c. 1450-1517)、ロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa, 1460-1535) 、アミーコ・アスペルティーニ(Amico Aspertini, c. 1474-1552)の3名が参画しています。また人物の表情や色彩そして構図には、その当時の巨匠たるペルジーノやラファエッロの影響を感じさせるとありましたが、確かに表情はペルジーノそのものといった感じ。どの作品も非常に美しい仕上がりとなっており、このような美に囲まれるて至福でした。ちなみに10枚のフレスコ画は、それぞれ以下のようなテーマと担当になっています。

(1) Sposalizio di S. Cecilia con Valeriano
 《聖チェチリアとヴァレリアーノの結婚》|フランチェスコ・ライボリーニ
(2) Conversione di San Valeriano
 《聖ヴァレリアーノの改心》|ロレンツォ・コスタ
(3) Battesimo di San Valeriano
 《聖ヴァレリアーノの洗礼》|アミーコ・アスペルティーニとその協力者
(4) Angelo con Corone del Martirio
 《殉教の花冠を持つ天使》|アミーコ・アスペルティーニとその協力者
(5) Martirio dei San Valeriano e Tiburzio
 《聖ヴァレリアーノと聖ティブルツィオの殉教》|アミーコ・アスペルティーニ
(6) Sepoltura dei San Valeriano e Tiburzio
 《聖ヴァレリアーノと聖ティブルツィオの埋葬》|アミーコ・アスペルティーニ
(7) Processo a Santa Cecilia
 《聖チェチリアの裁判》|アミーコ・アスペルティーニとその協力者
(8) Martirio di Santa Cecilia
 《聖チェチリアの殉教》|アミーコ・アスペルティーニとその協力者
(9) Elemosina di Santa Cecilia
 《聖チェチリアの施し》|ロレンツォ・コスタ
(10) Sepoltura di Santa Cecilia
 《聖チェチリアの埋葬》|フランチェスコ・ライボリーニ


 また礼拝堂の後部には、ローマはトラステヴェレの聖チェチリア教会にある彫刻(ステファノ・モデルノ作)を模した、美しい油彩が設置されていました。こちらは18世紀の作とのことですが、作者は未だ不明とのこと。青い服と赤いカーテンの対比や白い肌の美しさなど、なかなか見事な作品と言って良いのではないでしょうか。




04.聖ペトロニオ大聖堂(Basilica di San Petronio)

 アントニオ・ディ・ヴィンチェンゾ(Antonio di Vincenzo, 1350-1401/1402)の監督との元に1390年に建設が始まり、1670年に一応の完成を見ています。一応というのは、ファサードの化粧がされてなく、地壁がむき出しとなっていることから容易に見て取れます。一説には、ローマの聖ピエトロ大聖堂よりも大きな聖堂を作ることに教皇が苦言を呈したから、といったことも言われています。それ以外にも、皇帝派と教皇派の勢力争いや資金面など様々に想像されますが、今となっては真相は闇の中、といったところでしょうか。



 ちなみに聖ペトロニオ(Petronio, 450) は、コンスタンティヌス大帝の子孫と伝えられ、432年にボローニャ司教に叙任されています。また先の聖ステファノ聖堂を建てるなど、ボローニャの街造りへ貢献したとのこと。ボローニャ以外では、ほとんど登場する機会の無い聖ペトロニオですが、彼が当時の皇帝テオドシウス2世と関係があったことから、ボローニャの創建に格付けをする意味で街を挙げての崇拝となっているようです。

 正面扉は、ヤコポ・デッラ・クエルチャ(Jacopo della Quercia, ca. 1374-1438) によるもの。扉両脇のレリーフでは、ミケランジェロが好みそうな筋骨逞しい人物達が彫られていますが、実際にミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の創世記の参考にもしたそうです。



 ボローニャでは珍しく内部での撮影禁止なので、その内観は、パフレットと絵葉書からちょっと拝借します。赤塗りの巨大な柱が立ち並び、その間から側壁に空いた大きな丸窓を通して光が差し込む構造となっています。身廊の礼拝堂のそれぞれに、ロレンツォ・コスタやフランチェスコ・ライボリーニによる豪奢な作品が立ち並んでいます。その中でも最も異彩を放っているのが、こちらジョバンニ・ダ・モデナ(Giovanni da Modena, active 1409-1456)による《L'inferno》でしょう。巨大な悪魔のグロテスクな描写も迫力があるのですが、それよりも地獄に落ちた人間達の顔に張り付いた、狂気の笑いとも取れる表情が非常に不気味です。



 またこの作品で驚かされたのは、イスラム教の預言者ムハンマドが地獄に落ちた人間の一人として登場していること。中央の巨大な悪魔の右上に描かれているのですが、ご苦労なことにムハンマドの名前までわざわざ描かれています。この作品のおかげで、この聖ペトロニオ大聖堂も幾度と無くテロの対象とされてきた歴史もあります。当時の時流に基づいたものとは言え、本当に罪作りなことですね。



 そして、もう一つこの聖堂で見逃せないのが、床に象られた子午線のラインです。これは、1655年にジョヴァンニ・カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini, 1625-1712)によって設置されたもの。元は、イグナツィオ・ダンティ(Egnazio Danti, 1536-1586)によって1575年によって引かれていたものを、聖堂の拡張に伴って修正したのが現在のものとのこと。天井に開けられた穴から太陽光が差し込み、床に当たった光点がこの線上を移動するというもの。正確な時計の無かった時代に、このような自然の所作を取り込んで解決を図ったのは、さすがと言えますね。ちなみにカッシーニは、土星の衛星の発見や「カッシーニの間隙」の発見で、非常に有名な天文学者。




05.サン・ドメニコ聖堂(Basilica di San Domenico)

 ドメニコ修道会の創始者である聖ドメニコ(Domenico di Guzman, 1170-1221) の墓所を保持する、宗教的にも歴史的にも非常に重要な位置を占める聖堂です。1218年にボローニャを訪れた聖ドメニコは、この地での修道活動を拡大するため、1221年に逝去するまでボローニャに留まっていました。その後、聖ドメニコと修道士達が居住していた、当時の聖ニコロ・デッレ・ヴィーニェ教会を原型として、1228年から1240年にかけて建立されたのがこの聖堂になります。

 ちなみにドメニコ修道会自体は、1216年にフランスのトゥールーズにて創始および認可されており、その活動の中心はフランスであったと言って良いでしょう。その意味では、聖ドメニコの墓所がトゥールーズではなく、活動を始めたばかりのボローニャにあるというのは、興味深くもあります。やはり同時代に流行したカタリ派の信徒が、トゥールーズに多く居住していたことも影響しているのでしょうか。

 また当時のイタリア地域では、フランチェスコ修道会が同時期に認可されており、信仰復活の説教活動の高まりの中にありました。同じく修道会を中心とした活動を行った聖ドメニコは、現在のスペインの生まれで、バレンシアで神学を修めた後に、先のトゥールーズを中心とした南フランスで伝道活動に励んでいます。やはりカタリ派との関係もあって、異端審問を広く行ったことで知られ、ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』に登場させた異端審問官ベルナール・ギー(Bernard Gui, 1261/1262-1331)も、ドメニコ会士でした。



 さてその内観は、後世の改築もあってか、外観とは対照的にバロック風の明るい洗練されたものとなっています。私のような人間の目からすると、もっと建立当時のロマネスクな雰囲気が残っていたらと思ってしまいますが、これも時代の変遷の一つなので仕方が無いですね。



 見所としては、やはり聖ドメニコの柩(Arca di San Domenico)でしょう。ニコラ・ピサーノ(Nicola Pisano, c. 1220/1225-c. 1284)とその工房により作成されたパネルを中心に、ニッコロ・デッラルカ(Niccolo dell'Arca, c. 1435-1440-1494)、そしてかのミケランジェロの手も入った、非常に荘厳で美しいものです。



 またこれ以外にも、フィリッピーノ・リッピによる《聖チェチリアの聖婚》(Matrimonio mistico di Santa Caterina)や、ジュンタ・ピサーノによる十字架など、美しい作品が所蔵されていました。聖堂前の広場にも、ドメニコ会士達の柩を納めた興味深い墓碑もあり、一見の価値があります。



06.聖フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco)

 ボローニャの中心部から少し西に向かった先にある教会です。知名度は低いのですが、以外にも非常に巨大な建築物で驚きました。建設は、1236年から63年にかけて、マルコ・ダ・ブレーシャ(Marco da Brescia, ?-?)の監督によって始められたとされています。様式としては、イタリアではなくフランスのゴシック様式によるもので、類例としてはイタリア最古になるものとのこと。2つの鐘楼を持ち、高い方のものはアントニオ・ディ・ヴィンチェンゾ(Antonio di Vicenzo, c.1350-1401/2)によるものです。

 またこの教会は、対立教皇アレクサンデル5世(Alexander V, 1339-1410)の墓所があることでも知られています。教会大分裂(シスマ)として知られる状態にあって、ローマのインノケンティウス7世(Innocens VII, 13369-1406)、アビニョンのベネディクトゥス13世(Benedictus XIII, 1328-1423)と並んで、1409年のピサ教会会議にて教皇に選出されています。ローマとアビニョンの双方の枢機卿による選出にも関わらず、ローマ・カトリックにおいては正式な教皇と認められてなく、選出の翌年にはボローニャで逝去と不運な人物でもありました。



 内観も、非常に荘厳な雰囲気が満ちています。そしてやはり特筆すべきは、ピエルパオロ・デッレ・マセーニャ(Pierpaolo dalle Masegne, XIV secolo-XV secolo) による、大理石の祭壇衝立でしょう。非常に凝った彫刻で埋め尽くされており、ゴシック様式がこれでもかと表現されています。これを見るだけでも訪れる価値は、十分にあるでしょう。



 それ以外にも、教会の敷地内にローマ法の注釈で有名な法学者、アックルシウス(Accursius, c. 1182-1263)とその3人の息子の墓碑が設置されています。



07.国立絵画館(Pinacoteca Nazionale)

 いつでも学生が屯している賑やかなボローニャ大学の前を横切り、ザンボーニ通りとベッレ・アルティ通りが交わる角に見えるピンク色の壁の建物が、こちら国立絵画館です。エミリア・ロマーニャ周辺の画家を中心とした作品が集められており、その意味ではローカルな作品が多いのですが、中世からバロックまで素晴らしい作品を大量に所蔵しており、美術好きには至福の場所です。そのWebサイトにて、ほぼ全ての作品が詳細に掲載されているのも嬉しい。

 今回の私の来館時は、開館するまでドアの前で待っていたこともあって、ほぼ全て一人で鑑賞するというベストな状態で観ることができました。また全体の展示形式は、時代を100年毎に区切った7つの区画で構成されており、12世紀から18世紀まで時代を追ってこれだけの作品を見れて、贅沢と言う以外にありませんでした。どれをとっても興味深い作品が多くて、全てに感想を書くのは不可能ですが、幾つかピックアップしてみます。

 下のジョットによる1330年頃の多翼祭壇画は、構成自体は単調ですが保存状態がとても良く、輝きを放つ作品でした。



 本館で最も良かったと思うのは、こちらのアントニオ・ヴィヴァリーニ(Antonio Vivarini, ca. 1420-1484)とバルトロメオ・ヴィヴァリーニ(Bartolomeo Vivarini, 1450-1499)の、ヴァヴァリーニ兄弟達によるこちらの多翼祭壇画でした。私の大好きな初期ヴェネツィア派の特徴が強く現れており、これ程の作品を所蔵とは、本当に恐れ入りました。



 他にもラファエッロ、ペルジーノ、ティツィアーノ、パルミジャニーノ、カラッチ、グイド・レーニら著名な画家の素晴らしい作品が次々に現れ、当にボローニャのウフィッツィといった感があります。

 またそれら著名画家に混じって、とても変わったモチーフの興味深い作品も多く見かけました。特に下のザノービ・ベネデット(Zanobi di Benedetto, 1412-1468)による《Trionfo della Fama》は、ペトラルカの文学に記されたアレゴリーを表したものとのことですが、詳細は未確認。



 こちらの時の翁を描いた作品も、小さな作品ですがとっても渋いいい味を出していました。残念なことにキャプションを写し忘れており、またWebサイト上でも見つけることができず、とても気になる作品です。




08.ポッジ館博物館(Museo di Palazzo Poggi)

 あまり普通の観光案内には出てこない、変人が好むような物を集めた博物館と言って良いでしょう。そこをわざわざ訪れた私も変人といえばそうですが、もともと生物工学を専攻していたこともあり、こういった博物的なものに惹かれてしまいます。

 ちなみにこの博物館の原型となっているのは、有名な博物学者であったウリッセ・アルドロヴァンディ教授(Ulisse Aldrovandi, 1522-1605)のコレクションであり、当に「脅威の部屋」の正統ライン上にあるもの。ウリッセ・アルドロヴァンディ教授は、その生涯に18000点の博物標本と7000点の乾燥植物標本をコレクションしていたとされ、その膨大さには圧倒されるものがあります。

 このウリッセ・アルドロヴァンディ教授のコレクションは、近代以降の博物館のモデルとなったともされており、博物館という展示空間自体の歴史という意味で興味深いですね。特に純粋な学術的な意図だけでなく、娯楽性も併せ持った空間の演出は、かえって新鮮なものがありました。

 さてまず中に入ると、このようなショーケースが配置された部屋から始まっています。ここでは、様々な生物や植物の剥製と共に、記録用のための生物の姿を象った版画型を見ることができます。



 さらに奥に進むと段々雰囲気が怪しくなって行き、医学部における人体標本の展示室(Museo delle Cere Anatomiche Luigi Cattaneo)で最高潮に達します。勿論、本物ではなく蝋人形なのですが、かなりリアルに作られており、下手なお化け屋敷より怖いものがあります。ここでも私しか観光客がいないせいもあって、恐々見て周りました。




 その最後の部屋では、等身大の女性の蝋人形が解剖台の上に寝かされています。なんと胸の部分を開くと、一つ一つの内臓まで詳細に再現されており、医学部生でなければ普通見れないものが見れます。この時は、何かしらの撮影準備がされており、ちらっとだけ見てそそくさと退散。




09.市立中世博物館(Museo Civico Medievale)

 街の中心部にありながら裏通りが入口となっているため、ちょっと分かり辛い場所にあります。この博物館では、名称にもある通り中世の遺物、それも特にブロンズ製品やパネル彫刻、そして武具類が中心となっています。

 こちらは、マンノ・バンディーニ・ダ・シエナ(Manno Bandini da Siena, 1287-1316)によるボニファティウス8世のブロンズ像です。全長は275cmもあり、非常に迫力があるもの。これは、ボローニャとフェッラーラの争いの調停に当たった、ボニファティウス8世への感謝を示すために作成されたものとのこと。



 またこちらのような、デフォルメが利いたコミカルさも感じられる青銅像も面白い。13世紀のドイツ地方で使われていた、食事に際に手を洗うための水を入れる容器であるとのこと。




10.市美術コレクション(Collezioni Comunali d'Arte)

 特徴的な階段のある市庁舎内に設置された美術館。ちなみにこの階段は、ブラマンテによる設計のもの。元のアックルシオ家の邸宅を元にした館内は、当時の貴族の生活を強く伺わせるものがありました。所蔵作品としては、ボローニャの地元の画家がほとんどで特筆する作品は無いものの、ボローニャの政治の中心の雰囲気が感じられました。




11.アシネッリの塔(Torre Asinelli)

 ボローニャの街は、都会とはいっても高層ビルなどは建ってなく、この聳え立つ2本の塔が未だに最も高い人口物のようです。これらの塔は、1109年から1119年にかけて建てられたとされていますが、記録文書の消失などで詳しいことは分からないとのこと。現在では、パトロンとなった一族の名を取って低い方がガリセンダの塔(Torre Garisenda)、高い方がアシネッリの塔(Torre Asinelli)と呼ばれています。

 そしてアシネッリの塔には、頂上まで歩いて登ることができます。ちなみにProtrekの高度計で計ってみると115mもありました。これを風通しの悪い中、狭い木の階段を登ることになり、この季節でも汗だくになってしまいました。そのかいがあって、頂上からの眺めは非常に素晴らしいです。




番外編.リストランテ「La Brace」

 ボローニャと言えば、やはりこのタリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ(Tagliatelle alla Bolognese)でしょう。一人だとちょっと量が多すぎましたが、ボローニャの名品をしっかり味わうことができました。



 さて次回は、ルッカの街についてご報告します!


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2009.12.06 Sunday 05:02 | comments(0) | trackbacks(0) | イタリア旅行2009 | 
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